走り通す

 春日井教会、K長老の葬儀式がありました。私は生前のK長老にお会いしたことはありません。しかし葬儀式の説教、友人の方の思い出話、遺族のご挨拶などから、信仰者として一本筋の通った方であると思いました。病気も多かったようですが、キリストへの信仰によって支えられ、生涯を走り通されたことがわかりました。

 信仰者にとっては、死は神の国への凱旋です。キリスト教葬儀のたびに、そのことを深く思わされます。自分も、走るべき行程を走り通したいものだと思います。

 「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 ・・・わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3章13−14、20節)