すずめのお宿ワークデイ 受難節

 すずめのお宿ワークデイに参加しました。今日のワークは、すでに切り倒されている木を運び上げて燃やすことでした。午前中いっぱい、ひたすら木を運び続けました。太くて重い木は、のこぎりで短くして運べるようにします。午前中の2時間ほどのワークで、自分としては普段の1週間分ぐらいの運動になったのではないか、と思いました。つまり、それだけ普段は運動不足なわけです。

 黙々と木を運んでいるうちに、今週から受難節に入ったことを思い出しました。受難節は、イエス・キリストが十字架に架けられたことを特に思い起こしながら過ごすときです。先日の高蔵寺教会の集会(聖書と賛美の集い)でも、マタイによる福音書27章32−44節を選んでお話ししました。イエス・キリストが、自分が架けられることになる十字架の横木を担いでゴルゴタまで歩いていかれるのです。

 イエス・キリストのようには十字架を負いきれませんが、ワークで木を運びながら、ゴルゴタに向かうキリストの苦しみを思い起こしていました。どれだけ苦しく、厳しい道のりであったことでしょう。木を運びながら、自分も足がふらつき、倒れそうになりました。おこがましいとは思いながら、キリストの十字架の苦しみの一端を担っているような気になってきました。

 しかしなんと言いましょうか、人間の限界ですね。午後も同じ作業をするはずだったのです。でも疲れすぎまして、午後はずっと火に当たりながら教会員と話をして過ごしました。人が負える十字架の苦しみとは、キリストの苦しみには遠く及ばないことを思うのでした。